JH6NXC & Sakai Family’s HomePage 心の交流年賀状
18/01/15
修正
○年賀状にまつわる思い出
僕の年賀状作成の最初の記憶は小学校1年生の時、同じ隣組で仲の良かった辻通敏君のお家の縁側で、大きな羽根で大きく羽ばたく鳥の姿を、ゴム版画に彫刻刀で彫った記憶をはっきりと覚えています。
2年生になって、交流の範囲が広くなり、学校の帰り道に良く遊んでいた、絵が大変上手だった今広の高鍋満君と一緒に掘った丸っこい子犬のゴム版画、そして、3年生の時はイノシシの後ろに大きな朝日をデザインした年賀状を受持の辻先生に出した事等をかなりはっきりと覚えています。一番近い郵便ポストのある店は1km以上離れた野中商店で、冷たい雨の降る中傘をさして、濡れないように大事にポケットに入れて
出しに行ったことも覚えています。
僕にとっては、小学校の1年生の時から既に年賀状を交換し、何か心の交流をし始めていたのだと、このコンテンツを作成しながら改めて確認することができました。
私を七夕揮毫会で「天賞」に入賞するまで毎日放課後に習字のご指導頂き、僕に「頑張れば出来る」自信を持たさせて頂いた、僕のかけがえのない恩師である小学校1年生の時の受持の梯カヨ先生からは、お亡くなりになられる直前までの約60年間、1回の休みも無く達筆な毛筆による年賀状
をいただきました。
そして、小学校5,6年生の受持の牛島敬治先生からも大切な多くのことをお教え頂いた大切な恩師です。
上広川小学校にに転勤してこられ、僕たちの担任をして頂きました。
赴任後、最初の時間は、講堂の右前隅の運動場で、クラス生徒全員をおんぶしたり、希望者のみ小学校での「鴨取り権兵衛」のお話をして貰う等して楽しいお泊まり教育をしたり、珠算の練習をさせたり、書道を熱心に指導されたり、アルコールを染みこませた脱脂綿を準備してハーモニカのくわえる部分を消毒してくれたりしながら、楽器の演奏を熱心に指導されたり、NHKの奨学生向けのラジオ放送を毎回オープンリールのテープレコーダーに録音しながら教育に使用されていたり、すべてを記載することは困難な程、心の交流から入られ、それをベースに熱心に知識と技術を習得させることに全力投球された教育者であった牛島先生から受け持って頂いたことに71歳の現在に於いても感謝の念に耐えません。現在の音楽鑑賞・楽器演奏、書道、珠算、絵描き・デザイン・写真、等々のベースはこの時期から始まったように思える。
そして、お亡くなりになられる直前までの約50年間、1回の休みも無く達筆な毛筆と肉太の紺色のインクの万年筆による年賀状
をいただきました。小学校を卒業する時に卒業祝いとして達筆な毛筆の直筆の色紙をいただきました。
「日々の努力の総和が全てを解決する。」
そして、上・中・下の小学校から広川中学校に入学。牛島先生から頂いた直筆の「色紙」の効果あってか、卒業するまで学年全体のトップ数人のグループに加わることがてきました。その後、大型オートバイのライダーでもあり、大濠公園で当時開催されていた中学生の自作のモーターボート大会用のボート制作に全力でご指導をされていた、旧国立久留米工専の精密機械工学科ご出身の友野先生の薦めもあって、国立久留米高専の機械工学科に入学。そこでも教養科目中心の最初の試験はトップとなり、直筆の「色紙」の効果が健在だったようでした。
そして、「君は川流をくめ、我薪を拾わん」 と良く黒板に白墨で筆圧を掛け大きく豪快な先生独特な書体で書いて居られた、観世流の大先生でもある中村良郎先生に受け持って頂くことになりました。別コンテンツ「アルバム広川中・・ 」に同窓会のスナップの中にクローズアップした大きな画像が何枚もありますのでそちらもどうぞ。
先生は園芸家庭の先生で、毎日トレードマークだったゴム長靴と麦わら帽子で校庭の管理もされて居られたようでした。丸山定広君や先輩の神山さん達は良く先生を手伝って居たように思っています。花の季節には校庭の花壇には花苗を植えられたり、冬の準備時期には、縄や筵で蘇鉄の防寒作業をされたり。 ある時、校庭の北側で植物を植え込まれている時に水を沢山入れて植物の根をしっかり定着させるため泥だらけになり、水締を手伝ったような記憶があります。先生のお手伝いをしていた同級生の数人は、又、サボテンを競って育てていて、僕もその友人に影響受けてか、地中に畳1枚分位の階段状の穴を掘りビニールシートを張り、地熱を利用しての防寒設備を設置したりしていた。
現在自宅や実家には、柑橘類、ビワ、クリ、柿、梅、ザクロ、桃、グミ、等の果樹類から、黒松、五葉松、、サルスベリ、紅葉、ハギからムベやアケビ、ハーブのたぐいまで種々雑多の木々草木を私は植えていますが、これらもこの頃の先生の影響のような気がする。
そしてこの中村先生からも、現在まで約60年以上年賀状を頂いている。僕のテレビやラジオ出演する時には、多くの知人にご連絡をいただいたりして僕の出演を大変喜んで頂きました。今年も中村先生に感謝を込めて年賀状を書きました。
この時代の中学校の同級生で親友、トヨタに勤務していた豊田市在住の稲富弘之君や、野球が得意で走るのも得意なスポーツマンで、故郷広川町農協等で頑張っていた野田資幸君等から現在も引き続き年賀状をいただいている。
国立久留米高専時代の仲の良かった日立造船OBの柏原君、ビートルズに熱狂してか、学生時代にはマッシュルームカットでドラム演奏者でその後は運輸省0Bの福田君、NECのOBの大内田さん、写真が得意で卒業アルバムを担当していた小柳君。良く「メッチェン メッチェン」等と覚え立てのドイツ語で雑談をしていたことを覚えています。思い出多い彼等からの年賀状も楽しみです。
機械工学科出身のため、更に政治・経済・金融・文学等の教養学科を追加習得するために福大二部にも通いました。結果として写真部の暗室に入り浸りになり、卒業はしましたが、ネクタイの先が時々現像液で汚れる等しながらも、毎晩写真の技術習得に熱中しました。
効果有ってか、結果としてS51には「命綱」で市民芸術祭に初入選、その後6年間連続入選・入賞し、最終年度には、福岡文化連盟賞を頂く外、その間に県展も数回入選しました。これらについては別のコンテンツ「入賞作品等」に掲載しておりますので省略します。
このときの写真仲間の九大職員OBの田中君や山路君そして公認会計事務所のOBの中島君、プロのビデオカメラマンとして活躍していた安元
君等からも、写真部仲間でいたころから現在まで年賀状を頂いており、何か新しいテクニックを使用しているかを発見する事等も、年賀状を見る楽しみです。
そしていよいよ、昭和42年に現在の経済産業省の九州経済産業局に採用していただき、サラーリンマンとして一歩を踏み出すことになりました。
最初の勤務室は総務部技術課で、JIS規格や熱エネルギーの管理、特許等の専門の技術屋集団で特許を何件も取得された方も居られる中で機械工学専攻の私としては、実務的な多くのことをお教え頂きました。冬の暖房は当時石炭使用のダルマストーブで、出勤後直ぐに石炭を運んで来てストーブに入れ、新聞紙で点火するのですが、最初はなかなか上手くいかなかったこともありました。諸先輩の皆さんと一緒にストーブを囲み少し暖まってさあ仕事開始。
オフタイムになると、ストーブの周りに集まり雑談を交えながら、仕事は勿論、遊び等も色々とご指導をいただきました。 「男なら社交ダンスを習っておけ楽しいぞ。」と先輩で後の小林商工部長に言われ、翌週から早速、城南ダンス教室で女性のプロの先生にご教授いただきました。
その後、キャバレー赤坂、キャバレー月世界等々での大学のダンスパーティーや、中洲のタ゜ンスクラブ等に通い武者修行をしたものです。今でもダンス大好き。通勤電車待ち合わせ時間などで、何か音楽がかかっていると自然と体がリズムを取って動き出す始末。
技術課は技術のスペシャリストの集団であり、年齢的にも私を筆頭に若い職員からベテラン先輩まで幅広く、その趣味たるや、ゴルフ、カメラ、ダンス、アイススケート、マージャン、書等何でもござれの集団でもあったので色々とご教授いただきました。
「昭和生まれの明治育ち」と先輩方々から評判で義理堅い、高専の1級上の平田先輩からまじめに仕事とすることや、印刷屋の息子だけあって用紙のさばき方、製本の仕方、ジルバやマンボのステップや登山等々色々教わりました。更には特殊なパノラマカメラも持つ程の機械マニアで山登りもすきで、ダンスやアイススケートが上手でお洒落な篠原先輩。志賀島の慰安旅行では、磯の深みを私をおんぶして渡してくれた、スポーツマンで私を優しく指導してくれたJISの石倉先輩・・・・・・・・・・・今思い出しても限りなく思い出が続く。
私と入れ違いに部屋を変わられた、登山が好きで、カメラを自分で分解調節しり、自作の好きなオーディオマニアの榎園先輩、その後はパソコン用のハードディスクの分解・組み立てをご教授頂いた。
これらのお世話になった方々からは、入局当時から現在まで約50年間も年賀状を頂いており(途中でお亡くなりになられた先輩はその時まで)各先輩それぞれの年賀状には思い出深いものがあります。
その後、旧工専の先輩で、登山のベテランで新米会員を大事にして教えてくれる山田先輩がリーダーとなって率いる「通産会」にも参加させていただきました。初級のロッククライミングが出来る阿蘇の鷲ガ峰にもつれて行って貰いました。安全第一の「三点確保」は現在でも良く覚えています。第2キレットから岸壁をロープを使用しながら先に降りました。その時に撮影した4枚の組写真が福岡市民芸術祭の写真の部「命綱」として初入選となりました。冬の由布山登山での、山頂付近で作って頂いた暖かい「ぜんざい」のおいしかったことは今でもはっきりと覚えていますし、その時の情景もはっきり思いだすことができます。 山田先輩は16mmフィルム使用のカメラの撮影を得意とされていて、登山の時も、先に行ったり後ろに行ったりして撮影し、時々集まった時に上映してもらいました。
本当に良くご指導頂いた「面倒見の良い山男」の山田先輩からも、お亡くなられる直前まで年賀状をいただきました。最後にお会いしたのは鳥栖駅ブラットホームで簡単な挨拶したのが最後でした。何かと面倒見て頂いており年賀状にはより感慨深いものを感じます。
その後、若手で職場に写真の同好会を立ち上げました。そしてこの中には先行するアマチュア無線の仲間で成瀬、中原、糸山、神山局長等、4,5人いることを知り、自分も熊本の旧九州電波監理局で受験・合格し、昭和49年にJH6NXCのコールをとり、仲間入りさせてもらいました。 殆ど昼休みは公用車の運転手の詰め所にたむろし情報交換の楽しい日々を過ごしたものでした。引っ越しの手伝いや新築祝い等非常に緊密な仲間意識が芽生えて行ったと思っています。 今も年賀状を頂いていますが、外の年賀状とは別の思いの年賀状です。
一般的には、仕事上の儀礼的な年賀状交換は仕事が変わればその段階で消滅することが多いと思っています。
しかし、立場は違っても、お互いに技術者として安全等同一の目標に向かって仕事をしたこと等のためか理由ははっきりしないものの
私の場合は退職してからもなお、結構年賀状を頂いております。更には新聞記者やテレビ関係者からも頂いております。非常に有りがたいと思っています。この方々から年賀状頂くと現場の状況を思い出しながら拝見させて頂いております。
退職後間もなくして、自宅の近くに筑紫野市の筑紫コミニセンターが完成しました。
完成と同時に60歳以上の高年クラブ゜「楽学楽遊たい」が発足して募集があったため、私も初年度から参加し4年目になりました。
会員の方の多くは趣味や特技をお持ちの方が多く、芸術的な年賀状をいただくのが楽しみです。
4.5年前からアマチュア無線を資格一杯の200Wで再開しました。アマチュア無線の場合は、同じ趣味同士の交信で世界的に交信証を交換する習慣があるため、お友達が出来やすく、年賀状の交換も比較的しやすいこともあると思われます。
そして、今年2017年には孫達からの始めての年賀状を頂きました。丁度私が初めて年賀状を出したのと同じ1年生の長男と保育園児の長女からでした。 60年以上経った今、新たな孫達の年賀状交換がスタートしました。
どんな心の交換をするのか将来が楽しみです。
これから、新しく頂く年賀状も含め整理がついたすてきな年賀状から順次掲載したいと思います。
(これらは「絵画・書道・デザイン」のコンテンツでも一部紹介しています。)
●デザインやご両親の子供の成長を喜ぶ心の伝わって来るすてきな年賀状の掲載
注 トップページでも記載しておりまように、メール等で掲示削除等のお申し出があれば即対応しますのでお申し出下さい。
○彫刻刀も自家製作される多色刷り全面版画年賀状

















○全面版画で文字も絵も版画の年賀状






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○中型の版画や小型の版画と文字組み合わせの年賀状








○手書き・貼り絵等による作品








○絵手紙による年賀状
○プリントゴッコ等による年賀状















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○フランス大使館等から頂いた外国の年賀状





○日本伝統の毛筆のみによる年賀状












○小学校1年の恩師で御高齢になられても達筆な梯先生の毛筆による年賀状

○小学校5,6年の恩師で御高齢になられても達筆な牛島先生の毛筆による年賀状

○中学校の恩師の独特の味のある毛筆による年賀状




○義兄の男性的でスケールの大きな毛筆による年賀状





○伝統の毛筆に絵やデザインを添えた年賀状












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○提供されたデザインを利用したパソコン印刷による年賀状












○近況報告、俳句、絵等を加えたパソコン印刷による年賀状
○孫のおチビちゃんたちの始めての年賀状
○F氏の芸術作品の写真やデザインや文字の組み合わせたオリジナル年賀状






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○家族のふんわり柔らかな明るさを伝える年賀状









○書家として活躍されている独創的なM氏の年賀状



○明るい色調のデザインに柔らかで優美な線がマッチした年賀状
○文字にも絵にも大きな動きを感じる年賀状
○全紙面に大胆にデザインされた絵に静かで習熟した力強い文字で構成された年賀状


○家族の暖かみを感じるパステル調の年賀状

○アマチュア無線仲間諸氏の無線設備等の写真や絵に近況等を添えた年賀状
追加分工事中
○オリジナルな鳥や昆虫等の生き物の写真等に文字を添えた年賀状







○オリジナルな富士山の写真等に近況報告添えた年賀状










○オリジナルな電子部品や造形写真等の年賀状
○オリジナルなご夫婦ご一緒の国内外世界旅行や百名山等の登山等写真等に近況報告添えた年賀状
追加分準備中









○独身時代も含め結婚後の賑やかで平和な家族全員を伝える年賀状










○社殿前での平和な家族全員を伝える年賀状
追加分準備中
○うれしい子供さんの成長を伝える年賀状

○パソコンの達人のご夫婦によるテクニック駆使してのうれしい子供さんの成長を伝える年賀状
追加分準備中
○何時もご一緒の仲の良いご夫婦を伝える中学校からの親友の年賀状














○静かに仲の良いご夫婦を伝える年賀状
追加分準備中
○嫁ぐ娘さんに幸せ一杯のご両親の心を感じる年賀状
追加分工事中
○家族写真を中心にしたオリジナル年賀状




○家族写真等を中心に近況報告を添えたオリジナル年賀状

○ えいみちゃん デッカイ新年 おめでとう!!









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●以下 私の年賀状の段階的作成方法の流れによる分類
小さな写真はクリックすると大きくなります!!
○昭和45年前後からの趣味の写真による焼き付けの段階で写真に文字を書き込み作成した自作の年賀状


○カメラ店へ発注した写真の焼き付けの段階で印画紙に文字を書き込み作成した年賀状


○平成元年前後の頃、デザインされた絵を乾式複写機で縮小・切り張りし部分着色し近況報告等添えた自作年賀状

○パソコンでデザインされた絵を加工後、ワープロで作成した近況報告等に貼り付けた自作年賀状


○パソコンで写真の中に文字を書き込み作成した私の年賀状





○パソコンで写真を加工しワープロ作成の近況報告等に貼り付けた最近の私の年賀状




















工事中