ありがとう1万回
      JH6NXC &  Sakai Family’s HomePage ありがとう1万回

                        18/01/16 修正

 今朝、目が覚めた布団の中で、新しいコンテンツが浮かんできた。「カメラ、パソコン、ハムライフの師匠達に感謝乾杯」そして連想ゲーム的に「ありがとう一万べん」。
 昨年のお盆過ぎ、兄姉から一番可愛がられて育った末っ子の当方が当家の相続人となったため、まずこのホームページのように主として写真構成による当家の歴史を約30ページにまとめ、これに、関係者個人毎の全員に関する自分の記憶にある幼少のころからのお世話になった記憶を呼び戻し、約15ページにまとめた感謝の文書を添えて送りました。このことも連想の一部になったのかも・・・・。

 ゆっくりした正月に、小学生の頃遊びを通して教えてくれたガキ大将に対する感謝、小学校や中学校の教育熱心な恩師の方々に対する感謝、切磋琢磨して写真技術の習得に頑張った大学の写真部の各部員に対する感謝、就職した後の職場で仕事は勿論、趣味や遊びも教えて頂いた諸先輩・同輩・後輩に対する感謝、カメラやアマチュア無線等の仲間達への感謝も、そして、自分の記憶には無いが赤ちゃんの時からおんぶしたりして育ててくれた兄姉に対する感謝、結婚後40年以上に渡りお世話になって居る妻に対する感謝、子育て中と言いながら、逆に子供達から貰った可愛いしぐさや元気をくれた事に対する感謝、等々、じっくり考え、まとめて、立て続けに「ガキ大将・学生時代の親友・恩師に感謝乾杯」、「カメラ、パソコン、ハムライフの師匠達に感謝乾杯」、「心の交流年賀状」、「幼子からのかわいい贈物」をUPしました。
 詳細はそれぞれのコンテンツをご参照下さい。  
 

 小学校の低学年頃に、近くの年上のガキ大将と一緒に山に落とし籠でメジロ捕りに行ったり、田圃や畑にカスミ網でホウジロ捕りに行ったり、近くの竹山にチャンバラに行ったり、正月近くになると、テリトリーとしている近くの山に分け入って、正月に必要な松の小枝や幸神柴やウラジロやユズリハや栗箸などを毎年一緒に取りに行ったものです。その合間には、赤松の林に行って、この赤松の根元付近に松茸が採れるなど現地で教えて貰いました。 時には、枝振りの良い黒松の苗木が有ると山取りして家に持ち帰り、我流で梅や柿の木を剪定したり、一緒に山取りした松の剪定をしたりして遊びました。

 夏には、大型の魚取りの網を持って小川や田圃の用水路から流れ出る箇所を狙って足で追い込みフナなどを捕まえたり、「アクの木」の枝や根を上流側で叩きつぶし、その汁を流し「アク」で浮いたフナなどを捕まえることも手伝いながら覚えました。

 秋の稲刈りが終わった田圃で、風向きに真上に向けての急上昇も可能で飛行時間も長く完成度の高い模型飛行機の「ささやま号」を飛ばしに行ったり、スポンジゴムのボールで野球を良く一緒にしました。少し田圃が湿っていると靴は泥だらけとなり、その状態で走り回るのでズボンの裾は泥だらけとなったものです。

  優しいガキ大将「テッコチャン」から遊びながら教わった事は多く、現在の家庭菜園、草花栽培、梅や松や柿や柑橘類の接ぎ木や剪定、バードウォッチング等々のベースになっているのは間違いありません。
遊びながらも社会集団生活等を学んできたと思っている。 そして今、そのガキ大将や家来の遊び仲間達に感謝感謝!!

 又、それ以降の学年でも、中学校でも、同じハレーボール部で頑張った仲間達、修学旅行で一緒に行動した仲間達。高専になってからの英会話のESSクラブの仲間達にも感謝感謝!!

 大変お世話になった恩師の方々。高年になった現在、大変懐かしく思います。同窓会などでもお会い出来ない方も増えてきました。当時お世話になった方々に対しても感謝したい。ありがとう。感謝感謝!!

 そして、小学校1年の受持の梯先生、5,6年生の受持の牛島敬治先生からも大切な多くのことをお教え頂きました。
梯先生からは、私を七夕揮毫会で「天賞」に入賞するまで毎日放課後に習字のご指導頂き、僕に「頑張れば出来る」自信を持たさせて頂きました。お亡くなりになられる直前までの約50年間、達筆な毛筆による年賀状 をいただきました。
 
 牛島先生からは、楽しいお泊まり教育をしてもらったり、珠算の練習をさせたもらったり、書道を熱心に指導されたり、アルコールを染みこませた脱脂綿を準備してハーモニカのくわえる部分を消毒してもらったりしながら、楽器の演奏を熱心に指導されたり、NHKの奨学生向けのラジオ放送を毎回オープンリールのテープレコーダーに録音しながら教育に使用されていたり、すべてを記載することは困難な程、心の交流から入られ、それをベースに熱心に知識と技術を習得させることに全力投球された教育者であった牛島先生から受け持って頂いたことに71歳の現在に於いても感謝の念に耐えません。現在の音楽鑑賞・楽器演奏、書道、珠算、絵描き・デザイン・写真、等々のベースはこの時期に出来始めていたように思っています。

 そして、牛島先生からは、お亡くなりになられる直前までの約50年間、達筆な毛筆と肉太の紺色のインクの万年筆による年賀状 をいただきました。小学校卒業祝いとして達筆な毛筆の直筆の「日々の努力の総和が全てを解決する。」の色紙をいただきました。

  そして、「君は川流をくめ、我薪を拾わん」 と良く黒板に白墨で筆圧を掛け大きく豪快な先生独特な書体で書いて居られた、観世流の大先生でもある中村良郎先生に受け持って頂きました。 先生は園芸家庭の先生で、毎日トレードマークだったゴム長靴と麦わら帽子で校庭の管理もされて居られました
 現在自宅や実家には、柑橘類、ビワ、クリ、柿、梅、ザクロ、桃、グミ、等の果樹類から、黒松、五葉松、詫び助系の椿等の椿類、サルスベリ、紅葉、藤、ハギからムベやアケビ、ハーブのたぐいまで種々雑多の木々草木を私は植えていますが、これらもこの頃の先生の影響のような気がしています。
そしてこの中村先生からも、現在まで約60年以上年賀状を頂いている。僕のテレビやラジオ出演する時には、多くの知人にご連絡をいただいたりして僕の出演を大変喜んで頂きまし

 就職後の技術課時代は、「パノラマカメラ」やマミヤのレンズ交換式二眼レフの高性能高級機等を所有する篠原先輩達から、又、山の会の「通産会」のリーダー山田先輩からは、通産会の登山写真や16mmフイルムによる映像映写会をしていただきました。更には、この山田先輩からは「阿蘇鷲が峰」で初歩的なロッククライミングの技術を教わり、その時の4枚の組写真「命綱」が福岡市民芸術祭で初入選となり、その後6年間連続の入選・入賞となりました。


 福大写真部室や暗室は、当時、大久保部長や田中さん、中島さん、山路さん、新原さん等の先輩後輩の部員の活動が盛んで、写真雑誌主催のコンテストに入選した吉野さんの話や、単身でスペインまで撮影旅行に行った部員の話や県展の最高賞の県知事賞に百崎部員が入賞した事等、何時も切磋琢磨している熱気の感が強くありました。

 同じ頃、コマーシャルの若手で同じアマチュア無線仲間で写真同好会を立ち上げ撮影会を開催したり、年始の御用始めには、各課回って新年の記念撮影のサービスをしたり、コマーシャル全体の文化祭などでは多くの写真を出品して楽しくすごしました。等々・・・・・

 カメラについては、このように多くの方々に大変お世話になりましたが、 先ずは、カメラの楽しさを知っていて、中学生の当方にカメラをくれた姉に感謝し、職場の篠原、山田さん外、の諸先輩方、福大写真部 の大久保、田中、山路、中島、新原、吉野外部員の方々、同一コマーシャルでアマチュア無線局長の成瀬、中原、糸山、神山外の各仲間達に感謝の意を表したいと思います。感謝感謝!!

 結婚後ずっと毎日お世話になっている私の奥様(敬意を表して他人に対しても内の奥さんとか奥様ということが多い)に対しては、最近、特に有り難うを出来るだけ言葉と動作で謝意をつたえるようにしている。

 感謝の言葉も色々バーージョンがあって、 特に、三度三度お世話になっている食事時間には、普通に「有り難う」。「サンキュウ。」、「ダンケ。」、「ダンキュウ。」。 口に食べ物が入っている時は、手を少し上に上げて謝意を伝える。食事をもって来た貰ったり片づけてもらったりした時が来るたびにこれをくりかえすことになる。食事が終わったら必ずご馳走様、有り難うと言うことにしている。

 ずっと以前に、台湾の食事風景が紹介された時、有り難うの合図に、テーブルの上を人差し指と中指で交互に歩くような動作をしている場面を何気なく見ていましたが、今となっては、なるほど謝意を示す合理的な挨拶方法だなあと関心しているところです。

  そして最近、このコンテンツを作った後、今までに何回感謝の言葉・感謝の合図をしたのか考えて見ました。
 1日に10回以上と思いますが、最低10回として、半年で10x180=1800回  年間3600回 10000回は約3年で達成することになる。

 不機嫌なことがあってもこの感謝の意が表現出来るかな? 何年かかるのかな? とにかくやってみよう!!

 

     以下工事中